稲作農耕のはじまり
 縄文時代に続く弥生時代は、およそ紀元前10世紀中頃から3世紀中頃までと考えられています。この時代には、縄文時代晩期以降に伝わってきた稲作農耕、あるいは稲作農耕を携えた人々が朝鮮半島を経て、北九州へとたどりつき、定着して、次第に日本の各地に広まったと考えられます。
 稲作がその栽培技術や道具、生活様式なども伴っていたことから、稲作文化とも呼ばれており、人々の生活を急激に発展させ、ムラ(集落)からクニへとまとまりを見せる時代が弥生時代と言えます。
パネル31-1服部遺跡の水田跡

 弥生時代の守山では、滋賀県最古の水田跡が見つかった服部遺跡のような湖岸に近いところで稲作が受容されました。豊富な用水や自然の地形が水田つくりに適していたからだと考えられます。そして、中期になると、環濠集落が営まれた下之郷遺跡、後期には大型建物群が見つかっている伊勢遺跡のように、次第に内陸部に集落を移していく傾向が見られます。稲作の始まった頃には水田に不向きな土地が開墾され、生産性が高まったことがわかります。
パネル31-2主な弥生遺跡

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