弥生の生業(なりわい)
 下之郷遺跡の調査では、二つの注目される成果がありました。
 ひとつは、弥生時代の米の品種は「温帯ジャポニカ」ではないかと考えられていたのが、畑作にも水田にも適合(てきごう)できる「熱帯ジャポニカ」という品種(ひんしゅ)が発見されたことです。
イネの渡来経路
 もうひとつの成果は、弥生人がフナを捕らまえて食用としていたと考えられることです。
 このふたつ、つまり、稲作と漁労(ぎょろう)という、まったく違う手段で得られる食料のようですが、実は同じ場所で手にすることのできる食料でした。フナは産卵期(さんらんき)になると川を遡(さかのぼ)り、内陸(ないりく)の湿地帯(しっちたい)に押し寄せてくる習性(しゅうせい)があります。したがって、弥生人にとっては、この時期の水田は稲作の場であり貴重なタンパク源であるフナをとる漁場でもあってのです。
 琵琶湖辺では、この稲作農業と漁業が複合した生業(なりわい)が弥生時代から現在まで、脈々と息づいています。
弥生時代の水田想像図(服部遺跡)
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