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 弥生のタイムカプセル
下之郷遺跡からは「弥生のタイムカプセル」と呼ぶのにふさわしい遺物がいろいろ出てきます。
なぜ、タイムカプセルなのでしょうか? その物語をお話しましょう。
キャッチフレーズ「弥生のタイムカプセル」
平成13年に下之郷遺跡のカラーパンフレットが初めて発行されました。その表紙を飾るキャッチフレーズが「弥生のタイムカプセル〜下之郷遺跡」です。 キャッチフレーズ
下之郷遺跡からは土器、石器の他、環濠からは木製品があまり腐食することなく出てきます。さらに、動植物の遺体も多く、これらの遺物から当時の人の営みや自然環境が推定・復元できます。
また、熱帯ジャポニカやフナの加工痕跡、ウリの果肉などの新たな発見もなされ、弥生人の生活の一面が明らかになりました。これだけ多種多様な遺物が出土するのは、日本の中でもまれな遺跡と言えるでしょう。
平成12年、パンフレットの企画を話し合っている中で「弥生のタイムカプセル」というフキャッチフレーズが誰となく浮かび上がりました。
では、なぜ下之郷遺跡で動植物遺体がたくさん見付かったのでしょうか?
「弥生のタイムカプセル」と呼ばれるにふさわしい遺物を見つけた発掘の物語を紹介します。
プロローグ
腐り易い木製品が残っていることから、環濠での保存の良さが判りますが、エピソードを一つ。
発掘を実施している担当部署(現在は文化財保護課)は、遺跡発掘の様子をニュースレター「乙貞」として年に数回発行しています。
平成6年の乙貞には、 キャッチフレーズ
「出土した樹木の葉を調べ、そのほとんどがカシやシイで、環濠集落の周辺にはかなり広い範囲で照葉樹林が広がっていたと思われます。」と書いています。
注目すべきは、イラストに添えられた文章で、まだ緑色の残っている葉っぱが出土していることです。
この後も、何度か緑色の葉っぱが出土し、写真にその色を留めようとしたのですが、今のようにデジカメが手元にある状況ではなく、短時間で変色してしまい写真には残せませんでした。予めカメラを準備した時には葉っぱが出ないという巡り合わせでした。
この緑色の葉っぱは、下之郷の環濠の泥水の中という環境で当時の状態が維持されていたということを物語っています。これがタイムカプセルなのです。
自然科学分析者と下之郷遺跡の出会い
平成8年、9年は、環濠を本掘りする大掛かりな発掘調査があり、自然遺物がたくさん見つかりました。
すなわち「タイムカプセル」を開いた年にあたります。
ちょうど、この時と同じくして琵琶湖博物館が近くに開館することになり、準備室が設置されていました。ここには、自然科学分析の各分野のエキスパートがおられ、大学の自然科学の研究者が出入りしていました。これらの人々が下之郷遺跡と関わりを持つようになり、自然科学分析の技術で「タイムカプセル」の中から宝物を見つけ出す力を貸してくれることになるのです。
植物遺体を取り出すためには、土をメッシュごとにふるい分けたり土壌洗浄をしたり、サイズ別の選別をするなどの微細調査が必要なのです。 でも、専門家との意見交換を通じて、環濠から出土した木製品の分析や微細調査の必要性が判ってきました。人と自然の関わりや、自然環境を読み取るためには、動植物遺体の調査が必要なのです。そのような調査には、設備が必要だし手間と時間もかかります。
水洗選別の様子
水洗選別の様子
選別された植物遺体
選別された植物遺体
琵琶湖博物館との共同調査
平成9年、大規模な都市道路建設工事が計画されました。道路は集落の中心から環濠を横切る大規模な工事です。 琵琶湖博物館
下之郷遺跡の環濠は植物遺体の保存状態が良いことから、今回の調査では、人と自然の関わりや、自然環境を読み取るために植物遺体の調査と分析をすることになりました。このため、琵琶湖博物館に声を掛け共同調査を申し入れたのです。
当時、学際的な連携が盛んな時でもあり、琵琶湖博物館としても地域テーマを探していたところだったので、共同調査は実現しました。ただ、琵琶湖博物館もルーチン業務を抱えており、分析のためのサンプル作りや下準備は発掘側が担当することになりました。
このようにして、琵琶湖博物館とのコラボレ−ションによる調査が始まりました。
黄色い籾の出土と熱帯ジャポニカの発見
琵琶湖博物館 弥生遺跡から真っ黒になった炭化米が出てくることがあります。発掘作業員のTさんが、環濠の底の方を掘っていると、黒い泥の中から米粒らしきものが見つかりました。水で洗うと炭化米だけではなく、黄色味を帯びた稲籾も混ざっています。黄色いままの籾で羽毛、がくまで見えて形状は崩れていません。
この頃、稲からDNAを取り出すのは難しく、この分野の先駆者である佐藤さん(当時、静岡大学)に黄色い籾を託し、DNA分析を依頼しました。
DNA分析をした佐藤さんは、結果を見て驚きと、戸惑い、ひょっとして「間違い?」という気持ちだったそうです。これまで、日本には大陸から直接、または朝鮮半島を経由して「温帯ジャポニカ」が伝わってきたと言われていました。
ところが、DNA分析の結果では、40%は東南アジア系の熱帯ジャポニカで、純粋な温帯ジャポニカは20%、残りの内20%は中間的な性質をもつ稲だったのです。
このようにして、これまでの通説とは異なる、熱帯ジャポニカの伝来が明らかになりました。さらに細かく見ると、複数の品種が混じっていることが判り、当時の人たちは、いろいろな品種を栽培していたことも判りました。
これは、自然科学分析による大きな成果でした。
フナを加工処理していた弥生人
琵琶湖博物館
環濠からたくさん出土した樹木も琵琶湖博物館へ持ち込みました。
持ち込んだ調査物の中で、土の塊か松かさが圧縮されて重なったような感じの軽いものがありました。
日光にあたると光るような感じです。Tさんは琵琶湖博物館の作業場で正体不明の遺物に付着している泥をブラシできれいに取り除き、植物の専門家に見てもらってのですが、何か判らない。動物の先生に聞いても判らない。最後に魚関係かな?ということで魚の専門家に見てもらいました。
魚の専門家の中島さんは「魚の頭骨や鰓(えら)かな?  コイ科の魚だったら、口の中に咽頭歯(いんとうし)という歯があってそれが見つかれば、種類や大きさが判る」と言われました。
咽頭歯があったとしても、ブラシで取り除いた泥土の中にあるはずです。 琵琶湖博物館
早速その土を中島さんに渡し、水洗選別して顕微鏡で調べてもらうと、それはゲンゴロウフナの咽頭歯でした。しかも、約30cmくらいの大きさの揃った魚の咽頭歯です。
中島さんのこれまでの経験でも、魚の鰓蓋(えらぶた)だけ、しかも種類もサイズも揃っていることは初めてです。 また、加熱処理をした形跡もありません。
これから推定できることは、下之郷の集落に住んでいた人たちは、大きなゲンゴロウフナを捕まえて、鰓を取り除き、環濠に捨てていたようです。そのような加工処理をした後、料理をしたり保存処理をしていたのでしょう。
これは、発掘作業員の「感」と専門家による分析の成果でした。
世界初! メロンの果肉が出土
ウリ 平成18年から20年にかけて、大規模な調査が行われたとき、環濠の中からひょうたんの果肉が出てきた・・と発掘作業員は思ったそうです。ひょうたんはこれまでにも出土していました。
この時の発掘では、自然科学分析の人たちが参加したり見学に来たりしていました。
発掘物の検討会の席に、稲籾のDNA分析をした佐藤さんの研究室の田中さんも参加していました。田中さんから
DNA分析をしたいと申し出があり、出土物を託しました。
結果は思いがけないものでした。形態的にはひょうたんの幼果実のように見えるのですが、DNAの塩基配列からはメロンの仲間であると判定されたのです。現在のシロウリのようなメロンとのことです。
メロンの種自身は、国内外の多くの遺跡から見つかっているけれども、果実としては世界で初めてのことです。
ただ、メロンを形態学的に研究されている人から疑問の声も出ており、形態的な分析とDNA分析との葛藤があるようです。



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